富士山信仰が盛んだった頃、各地から富士講と呼ばれる信者達が、苦しい修行の果てに富士山頂を目指しました。この碑は1801年、現在の埼玉県寄居町の富士講の一派・丸正鐘講の人々が、八海巡りと呼ばれる厳しい修行のためにこの地を訪れ、捕らえられた生き物を放してやる放生会というしきたりにより鯉を放した記念に建てられたものと思われます。
富士五湖に放流が行われた最も古い記録であり、また、その頃から埼玉県と本村との交流を示す資料としても大変貴重な史跡です。
史跡の横には、その歴史的意義と美しい湖をいつまでも後世に伝えようと、二匹の鯉のモニュメントが建てられ、観光客の目を引いています。