平野口留番所は、甲斐・駿河・相模の国境に位置していたため、設けられた番所です。主に人や物資の領内への出入りを取り締まる仕事をしていました。
口留番所では国境の警備や入鉄砲出女といわれた武器の出入り(江戸へ入る旅行者が鉄砲を携行することを禁じた)や人質として生活させられた大名の妻子が逃 亡するのを防ぐために目を光らせていたと言われています。そのほかに代官所の許可が必要な木材や板割を勝手に持ち出すことなども厳重に監視していました。
この関門の敷石や沓石などが今でも残っていて当時を偲ばせてくれます。
また、矢来の支柱といわれる「えんじゅ」の木の古株や、大山氏が建てた万延元年の庚申塔も残されています。